会社という名の魔窟から35歳で脱出するブログ

既婚アラサーがセミリタイアを目指すブログ

ノマドランドの感想

誰かの感想を聞く前に、読む前に、サラのままのわたしの感想を書き留めたいと思う。

 

一番印象に残った点は、最後の方でヒゲモジャのおじさんが言った、

「ここには、高齢者がたくさんいて、たくさんの辛い経験やおもいや悲しみ、喪失の経験を抱えた人がいる。中にはまだその経験を乗り越えられない人がいる、そしてそれで、いいんだ。」

それが人生なんだって思った。つらくて悲しいことを経験し、それを乗り越えられなくても人生は続く、それでいいんだって。

 

彼女はなぜ妹の家にも、パートナーになり得そうな人の家にもいくことを断ったのか?

妹の家は、わたしでもそうするかな、でもあの男の人の家は、どうだろう、、やはりちょっと窮屈なのかな。

わたしなら、どうするだろうかな。

あの生活は最後のグッバイは言わないけど、see you down the road.

でも常に1人。

単純に普通の人生が窮屈だからノマドを選ぶというよりは、孤独に浸る、そんな感じなのかな、、そう思った。

わたしは、いい映画だと思った。

田舎から1人で出てきて10年以上都内で住んでる女

タイトルの通り、わたしは田舎から18歳で出てきて、大学・就職・結婚し、曲がりなりにも自立して生きています。

そんな自分を褒めてあげたいなと思います。

すごい!えらい!わたし。

わたしは中部圏から来たのですが、高校の同級生はほぼ地元にとどまっているか、出ても京都や大阪が多いです。

ましてや、女で、実家も金持ちではない、そんな奴が雑草魂を発揮しながら図太くしぶとく都内で生き抜いてきて、本当にお疲れ様と思っています。

 

わたしの夫の同僚で、最近双子出産した人がいます。

双子出産って大変ですよね。でも彼女は実家が都内で、鎌倉の一頭地に家がある家庭なんです。楽勝とは言わないですけど、わたしが双子出産だったらちょっと困ってしまうのではと思う。それが平気でできるのは彼女の裕福な親が都内在住なため。

 

わたしの同僚でも双子出産した人がいました、そういえば。

彼女はとても頭がいい人。わたしに近い雑草魂を感じます。親も中国地方に住んでいる。埼玉の都内寄りのところに賃貸を借りて工夫しながら生きてる。

 

もちろん、特権のあるひとは知らずにそうやって生まれてきたわけなのでそれを非難してもしょうがないのですけど、やっぱりどこかで悔しいと思ってしまう自分がいるのかな。

あと夫の実家が太い人と結婚した人も。まあそれはそれでしがらみや人間関係など複雑になるから自分に向いているかと言えばそうではないかも。

 

だからこそ、自分の足で自立して踏ん張って生き抜いてきたってことに誇りを感じるしそういう人たちを尊敬する。

女に生まれたということの呪いとサーフィンの救い

女に生まれて、34年。

 

昨今のいろんなフェミニストムーブメントによって、これまで感じてきた理不尽のカラクリがわかってきて腹が立っている。

この怒りは、日本社会や政治に向けられていて、まあかといってこの世界どこを探しても女性が正当に扱われている国などないのだが。特に日本は酷くて、それが社会観念に染み付いていて腹が立つ。

 

例えば、わたしがど田舎の実家を出て、東京の大学に進学することが決まった時、四国のおじいちゃんは微妙な顔をした。なんのために行くんや、と言った。

後から考えたら、女のコは親の近くで結婚して、結婚したら夫と子供の世話をして親が年老いたら親の介護をする、それが役割、そういうことだ。

就職は、リーマンショックの直後で超就職難だった。それでも自分に能力が足りないからだと自分をせめた。でも周りを見渡すと、男子は大手に就職が決まり、女子は能力があっても一般職にとどまったりまだ就職が決まっていなかったりした。田舎に帰る子もいた。同じゼミの男の子から、「田舎に帰って就職したら?」と言われた。ゼッテーお前の言葉忘れねえからな。

 

てか、そもそも、わたしは、無理に義務教育の学校に行ったり、いい大学に入って良い会社に入って、高い税金を納め、結婚して夫の面倒を見て、将来の税金の種である子どもを作り、年老いた肉親の面倒をみるために生まれてきたのだろうか。

いや違う。

わたしはただ生まれた。

この世の美しい世界をただ楽しむために生まれた。

 

このフラストレーションをわかってくれる人は極端に少ない。

だから苦しい。

まるでマトリックスで目が覚めてしまった人のよう。幻覚の世界に戻りたいと思うのも無理はないと思う。この世のカラクリを知ってそれを受け止め、前向きに行動することの方が難しい。

 

 

だから、サーフィンはわたしの救いになっている。

サーフィンに打ち込む間はいろんなことを考えなくてもよくなる。ただ波にフォーカスしていればいい。社会とか関係なくなる。1人で波を追いかけることが究極の癒しになっている。

 

 

 

羨ましいって気持ちとどう向き合う?

夫の同僚の妻が羨ましい....
最近、そんな感情が湧き起こってしまって自分とどう折り合いをつければいいのか悩んでいる。

小さい頃から、嫉妬や羨ましいって感情を持ちやすい子どもだったと思う。

トラウマになってきたのは、小さい頃初めて自分から話しかけてできた友だち、T。

彼女と話しているときは楽しいのに、彼女のかわいさや頭の良さや性格の良さに嫉妬した。羨ましいと思った。いつも一緒にいるのに、評価されるのはTのほうだけ。そんなわたしの卑屈な性格を相手も察したのか結局彼女は去っていった。

ちなみに、夫の同僚の妻は見た目がTに似ていて(私的に)トラウマを呼び起こす。

彼女はわたしがもってないものを持っている気がする。

それは、親の財力だったり、東京出身という基盤だったり、パートナーとの関係性だったり、要領の良さだったりする。自分にはそれがないって自分は思ってるんだと思う。

パートナーを愛すことってセルフラブに直結する。欠点も含めて全部丸ごと存在を愛すこと。

だからなにも羨ましく思うことはない。

 

そして、わたしのパートナーが言ってくれた、「you make it」の言葉。

よくがんばったねって自分を褒めて愛すこと。これを繰り返していると少しずつ羨ましい気持ちが薄らぐ気がする。

わたしはよくがんばった、よしよし。自分をもっとよしよししてあげよう。

人と比較するの疲れた。セルフラブ。

今日、ふとしたことがきっかけで、自分を責めた。

きっかけはなんてことないこと。

わたしの唯一ともいえる友人に、今週末遊びに行っていいか聞いて断られたことだ。彼女は別の友だちとお泊り会をする。

 

そのとき、わたしは自分自身に、

「どうしてわたしは孤独なの、どうして友だちが少ないの、性格が悪いから?運が悪くて友人になれるような素晴らしい人との出会いがなかったから?」

そう、責めた。

運が悪いとかって自分を責めていないようにみせかけて、自分を責めている。その思考を多分10分くらいしたかな、夫にも少し八つ当たりなんかして、悲劇のヒロインにひたったところで、はっと気づいた。

 

わたし、自分を責めてる。自分の性格の悪さとか運の悪さとか、主観的なものに対してこうだと決めつけ、悲劇のヒロインにひたってるって。

 

まずは、気づくことが第一歩。そのあと自分の腕をさすってあげて、

「わたしはわたしの一番のベストフレンド」

そう、いいきかす。

 

一歩一歩が大切だと思う。まずはやばい思考に気づく。修正する。

そのプロセスを繰り返していくこと。

すぐにはこの自分を責めるクセは治らないかもしれないけど、自分を大切にしよう。だって一生付き合っていくのはわたしなのだから。

携帯の買い替えという搾取事業

週末、とうとう友人がiphone seを買った。

私たちは6年前、だいたい同じ頃にiphone6を買った。それから6年間、ずっとiphone6を使っている。

私はちょうど在庫処分の頃で、ラッキーなことに5万円引きでauから買うことになった。プランも6年前にしてはかなり条件の良い、au&2年縛り&月々3千円&7GB/月 というものだった。

2年後、3千円も払ってられないと思ったわたしは格安simを探したが、iPhone6simロックがかかっており解除できない最後の端末で、その当時この端末が契約のできる格安sim会社はmineo(マイネオ)だけだった。それで毎月5GB/1500円という金額に落ち着いて、4年ほど使った今は満足している。

 

それが、そろそろ機種変しなければ本当にやばくなってきた。

 

設定を開くのでさえ時間がかかるし、ラインでもそう。固まる。

もう潮時で、聞けばこの先一生ずっとiphone 6を持ち続けることはできなくて、いつかアプリが開けなくなってくる、ということらしい。恐ろしい。

 

それにしても、友人の姪は12万円もする最新のiphoneを持っているらしく、それを私たちのように6年も使ったりはしないだろうから、日本という国は一体どうなっているんだろうと思う。

わたしは携帯をハードに使う方じゃないから、2万くらいの端末が妥当かなと思う反面、12万する端末を普通に持つのって自己肯定感が高いからできるのではと思ったり。(この素晴らしい端末を普通に持つのに値する人間なんだという感じ?)

 

色々考えた。

 

ただ、やはり私たちは資本主義経済の中の歯車の一つであり、搾取される側の消費者という立場であり、消費者として支えているのは莫大な利益を貪る大企業なのだと思うとなんだかやりきれない。

ビックカメラに行けば、simフリーiphoneであっても、とりあえずドコモを契約しろと勧められる。そうすれば2万円割引がもらえると。そしてその後格安simに戻ればいい、そんな説明をされる。非常にめんどくさい。

 

結論、わたしもiphoneを変えるが、これまで使っていたマイネオを継続、本体はアップルストアで買うことにした。

一番安い買い方ではないし、高い方だと思うけど、よくわからない企業にお金や実績をこれ以上落としたくない、そう思った。このクレイジーな、乗り換えすれば2年毎に新しい端末が手に入るという錬金術に加担しないためでもある。

 

はあ。

 

シスターフッド欲

最近、自分の「敵」は家父長制の残る男社会なんじゃないか、と思うようになってきた。

それは、いろんな本やポッドキャスト、記事や映画などからの影響でそう考えるようになったんだけど、思いのほか、これまでの心のわだかまりが解けてきたような気がする。

どういうことかというと、それまでの私は無駄に女を敵とみなしていたからだ。

自分は、小さい頃から可愛い方の女ではなかったため、この世界においてあまり女であることの恩恵を受けてこなかった方じゃないかと思う。そのおかげなのか痴漢とかにも合わなかったけど。

でも、まあ恩恵を受けなかったということは、自分の中にどす黒い何かジェラシーみたいなものがうごめくのがわかって、その気持ちのやり場が、可愛い方の女、に向いていたと思う。

可愛いなんてずるい、ただの運じゃないか、どうも埋めることのできない人生のギャップにモヤモヤしていた。

 

でも、ここ最近でフェミニズムルッキズムについて学んでいくことで、この世界のシステム自体に問題があったんだとわかり始めてきた。と、同時に、外見に重きを置きすぎることや、女性の美醜と男性のお金に結びつくことの気持ち悪さがわかってきた。

結局、外見に囚われたり、自分の人生が誰かの経済力に頼って成り立っていくことは、人生を不自由にしているにすぎないってことだ。

これらのことがわかってきて、よかった。

少し、救われた気がする。

とにかく、今はその反動でシスターフッドばかり考えてる。女の敵は女ではない。