女に生まれたということの呪いとサーフィンの救い
女に生まれて、34年。
昨今のいろんなフェミニストムーブメントによって、これまで感じてきた理不尽のカラクリがわかってきて腹が立っている。
この怒りは、日本社会や政治に向けられていて、まあかといってこの世界どこを探しても女性が正当に扱われている国などないのだが。特に日本は酷くて、それが社会観念に染み付いていて腹が立つ。
例えば、わたしがど田舎の実家を出て、東京の大学に進学することが決まった時、四国のおじいちゃんは微妙な顔をした。なんのために行くんや、と言った。
後から考えたら、女のコは親の近くで結婚して、結婚したら夫と子供の世話をして親が年老いたら親の介護をする、それが役割、そういうことだ。
就職は、リーマンショックの直後で超就職難だった。それでも自分に能力が足りないからだと自分をせめた。でも周りを見渡すと、男子は大手に就職が決まり、女子は能力があっても一般職にとどまったりまだ就職が決まっていなかったりした。田舎に帰る子もいた。同じゼミの男の子から、「田舎に帰って就職したら?」と言われた。ゼッテーお前の言葉忘れねえからな。
てか、そもそも、わたしは、無理に義務教育の学校に行ったり、いい大学に入って良い会社に入って、高い税金を納め、結婚して夫の面倒を見て、将来の税金の種である子どもを作り、年老いた肉親の面倒をみるために生まれてきたのだろうか。
いや違う。
わたしはただ生まれた。
この世の美しい世界をただ楽しむために生まれた。
このフラストレーションをわかってくれる人は極端に少ない。
だから苦しい。
まるでマトリックスで目が覚めてしまった人のよう。幻覚の世界に戻りたいと思うのも無理はないと思う。この世のカラクリを知ってそれを受け止め、前向きに行動することの方が難しい。
だから、サーフィンはわたしの救いになっている。
サーフィンに打ち込む間はいろんなことを考えなくてもよくなる。ただ波にフォーカスしていればいい。社会とか関係なくなる。1人で波を追いかけることが究極の癒しになっている。